あしたへ、あしあと。

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あしあと。あしたへ。

最近のニコニコ動画のコメントが気持ち悪い

一月がもうすでに去ろうとしている、今現在。更新数が稼げていないのはまずいですねえ。
といっても書こうとしている記事が無いわけで。とりあえず、最近の、このブログについて書いてきますか。
そもそもこのブログ、面白さが売りになったり、レビュー、論文を売りにしたりと忙しい。記事の書き手のいろいろな変化を示してるんだろうなって自分を客観的に見つめてみる。
いきなり写真を持ち出したりなんだか滅茶苦茶ですが、生暖かく見守っててくださいな、と。
2012年になって変わったことは文章の形式。
いま書いてるような文章の方が、前のより文章的な美しさに目を向けて書くことが出来るのでは、と思ったからですね。
とりあえず、このことは書かないとまずいだろうってことでひとつ。

では本題に入りますか。
なんとなく思ってることを書いてきますかね。

ニコニコ動画のコメントが一部ひどい気がする。

いかにも「いまきました」って感じのコメントが、とにかく不快。どうしてこうなった?どうして不快なのか?
答えはニコニコ動画、そのもののがインターネットに存在していて、今まではそこまで知名度が高くなかったからなんじゃなかなあと。
知名度が高くなった原因はズバリ、CM、報道などにおける、「リアルへの売り出し」行為。
知名度が上がってしまったことにより、今までテレビを見ていたネット初心者の高校生、中学生が大量に乱入。いわゆる「リア充」と呼ばれる人口がなだれ込みましたと。

これにより、生じた問題は、大量の新参者達と今までいた住民の差。
新しく入ってきた人々は流行に乗り遅れたくないような感覚に陥り、「ネットのネタ」や、「ニコニコ動画における定番ネタ」を私も、俺もとコメント、リアルでの発言でがんがん使い始める。
これによりコメントはしつこくある一定のネタを使いまくっていたり、そのネタを引っ張りすぎていたりしている。そしてなんだか笑いたくても寒くて笑えないという状態が今、続いている。少なくとも僕は。
挙句の果てには「おまえらwww」みたいなコメントも寒気を呼ぶ。使いたくてそのネタを使う。「流行に乗り遅れたくない」というようないわゆる背伸びしているようなコメントが大量に流れていて、どうにも気持ちが悪い。
誰しも、ネットの世界に飛び込むとそうなりますが、そういう人が大量発生しているんですよね。で、こうなったと。
時間によって解決するのでしょうかねえ。

もともとニコニコ動画自体、どこのものか分からないような、インターネットのユーザーだけで盛り上がるおかしな空間だったのに、最近になっていきなりニコファーレやら超会議やらと。運営も外に出すぎてるんですよね。
俗っぽさが増しているというか、ニコニコ動画らしいアットホームな雰囲気が抜けて、世間に溶け込んでしまってる気がします。いずれにせよ、外に出すぎてるんでしょうね。

というわけで最近のランキング上位の動画のコメントは見てて気持ち悪いですよって話でした。

西から 南へ

北朝鮮を越えたもはやテロ組織によるものなんじゃないかと錯覚するほどの放射能被害で、東北、関東、中部、四国、中国などの食物がやられてまして。じゃあ、九州で取れたのしか食えないじゃんということで。基本的に草食主義者な我が家は、どうしたかというと、はたちょく九州ってとこで野菜なんかを買ってます。はたちょく九州って何か、というと九州の野菜などを、がばっと通信でまとめ買いが出来るという良いサイトです。
まとめ買いといっても、いろいろありまして。我が家では2000円そこらを支払って適当に見繕ってくれるのを買っているのですがなかなか野菜が新鮮で良い。
野菜だけでなく、豆腐や納豆、、米や味噌なんかも入ってたりしてスーパーで九州産のものを選ぶ手間が省けてだいぶ楽なんですよね。そんでもって結構おいしい。
年末はここでお餅なんかも買ったりして届けてもらいました。保存料が入っていない新鮮なものというコンセプトがあるため、お餅にカビが入るかもって電話が来たりしましたが、カビは入っておらず、しっかりとした食べ応え。
そういうことで、これからはこういった通販なんかが儲けていくんじゃないかと。

ここで考えるんですけど、先ほど述べた放射能の件で結構な数の人がやはり東北の野菜を食べないので、結果、その人たちはがんがん九州産の食材を買っているんですが。そろそろ九州の野菜が食べつくされないか心配です。冗談です。
ともあれ、東北の観光宣伝が凄いですよね。まあ、それを見てあまり考えないで東北へ行っちゃう人がいるから宣伝してるんでしょうけど。まあ、放射能はそんなにひどくないだなんて曖昧なことを未だにメディアは報道しているからでしょうね。そんな中、NHKなんかは本当にこんなんでいいのか、放射能はどう対処すべきかといった報道をやり始めてたりします。NHKかあ、と意外です。

さて、結局私は原子力発電って賛成?反対?どちらかといいますと・・・・
原子力発電はデメリットが大きい。でも結構な額の電力が出来上がる。膨大な人口の電力を供給するにはそれくらい必要だと述べる人も居ますが。
今のところ、そこまででっかい電力を生み出してくれる発電方法が風レンズ風車などなど結構考えられてるので絶対そっちへシフトしていくべき。よって、反対へほんの少し傾いてます。

はたちょく九州 http://hatachoku.main.jp/zenkoku.html

オタク文化と宗教文化

人間、いろんな人が居ますね?で、僕はどうやら適当に自慢できない程度に考えたところ、染まりやすい人間だということに気が付いたんですよ。何かを好きになったらそれに入り込む。しかし、好きになったものに入り込むだけなので努力はしない。それだけの人間。現実が嫌いな人間。幻想も現実というのは僕の持論なのでしょう。それって、果たして良いことなのでしょうか。と、今考えているところです。
というのも、私は高校二年生。理系文系で分かれる時。僕は今までどおり、直前にならないとその現実へ思考が行かない。いや、思考は行っても行動はしない、つまりは哲学人間です。
頭の中だけでああだこうだと考えます。実行には移せない、移したとしても努力はできない。
さあ、これは良いのでしょうか。これを読んでる方々にも決して若者の戯言だと思わないで考えてください。意見を言うのは誰にでもできるので、お前には権利が無いとは言わせません。
ちょっと自分のことを辛口で評価してるのかもしれない、と今ふと思いました。
結局自分の人生なんだから、自分の好きなように生きればいい。他人に流されて宗教生活しても良い。自分が中心となって生活をしても良い。

さて、ここで出た宗教生活についてがこの記事の本番なわけです。
アニメや、ゲームをやったりして、それだけで過ごす人。映画を見て入り込む、音楽を聴いて興奮する、ファンになる人。あるアニメキャラクターに惚れ込んでその子を愛する人。
もう例を挙げるのが面倒なので、ここまでにしますが、これらの人はいわゆる「オタク」なわけです。
入り込む。それに浸る。すばらしいことです。ですが一般的にはあまり良い目で見られることは無い。最近は変わってきていますが、その傾向はなんとなく続いてますよね。
さて、ここで視点を変えて宗教について。
簡単なところから行きますと、キリスト教なんかは「イエスキリスト」を救世主として崇めていますね。
「イエスキリストが何とかしてくれる。イエスキリストが居るから私たちはこうして生活できているのだ」
どういう風に崇めているのか詳しいことは分かりませんが、宗教は大体恐怖から逃れるために大きなものを引き合いに出して気持ちを落ち着かせる。「虎穴に入るけど、この十字架さえあれば絶対に俺は死なない。」みたいな暗示とかにも使えます。
まるでイエスキリストがすぐそこに存在しているかのような考え方ですよね。
じゃあ、ここで「オタク」について考えてみてください。彼らの考え方を文章に変えますと、
「長門かわいすぎる。ああ、助けになってやりたいぜ!!うおおおぺろぺろぺろ!!」
みたいな感じですね。分かりにくいので綺麗な文章にすると。
「長門さんが好きなんですよ。僕のお嫁さんにしたい。彼女の無表情な顔を見ると明日から頑張れるんです。彼女が居れば、怖いものなんてないですよ。僕の生活は彼女のことを考える日々です」
といった具合。
人を好きになる文章ですね。ちなみに例文に登場した長門さんはアニメキャラクターです。僕の(ry

 さて、宗教とオタク文化。具体的に出すとイエスキリストと長門有希。結構共通点は多いと思うのですよ。大きく分けますね。
まず一つ、重要なところは「信じている」点。次に「存在することで、気持ちの置き場にしているところ」最後に「生活の中心である」こと。これら三つは全て心の話になるわけです。現実的に見て力が無いのが基本なんですね。

「信じている」点はそのままの意味。イエスキリストや長門有希は物理的には存在していませんが、信じている人たちの心の中には存在しているのです。

二つ目の「存在することで、気持ちの置き場にしているところ」は「イエスキリストがいる。だから私たちは生きていける」という部分と「長門有希が好き。癒される、私たちは彼女のおかげで頑張れます!」という部分が重なっていますね。
全然違うようで結構同じなんです。ようは気持ちの置き場。
気持ちが安定する場所、考えが及ぶ場所を支配しているという意味です。
しかし、この二つ目。宗教の方はイエスキリストに僕らが見られている。オタクのほうは僕らが長門を見ている。という大幅な違いがありますね。ですが、表面的には同じ。現代になって人々の行動が変わってきていることが伺えます。真実を知っているわけですから。その部分に関しては後々まとめます。

三つ目の「生活の中心である」部分はキリスト教では日曜日に教会へ行ってお祈りしたり、十字架や、像、イエスキリストの描かれた絵、イコンを買ったりします。オタクはその女の子が出ているアニメを見たり、その女の子のグッツを買ったり、眺めたり。高度なところだとイラストを描いたりしますね。
さて、かなり共通してますよね?お祈りの部分はアニメを見る部分と共通します。十字架や像、キリストの絵(イコン)を買うのはオタクで言うところの女の子のグッツ、つまりフィギュア、イラスト、同人誌を買うところに位置づけられます。
ものすごく共通してます。

ここで分かるわけです。オタクと宗教は同じだった。と。
信じること、そこに入り込むこと。まあ、単純に考えれば入り込んでいる、それだけなので、どちらもやはり同じなのです。ただ、入り込みすぎて生活の中心になっているというとこの二つなわけです。
しかし、宗教とオタクが違うところがほんの少し。
宗教は政治とかに大きくかかわったりしますし、やはり、考え方そのものがよく出来た哲学になっておりそれを信じるわけですから、考え方を信じることになり、酷いところだとありもしない力を信じたりします。
オタクは考え方の部分は自由なので集団性はないです。皆自由に考察したりします。
宗教は集団、団体でなおかつ意見が同じ人たちの集まり。オタクには集団になれたとしても、意見の一致はありません。ここで力があるか、無いかの違いが出てきますね。
表面的には全く同じなんです。
昔は何も無かったので勝手にああだろうこうだろうと頭の中で世界について考えたので宗教は「神様はいるんだ、人間はこうするべきだ」みたいなことになりますが、現代は科学やら、そういう現実を調べ上げてだいたい真実が明らかになっているのでその表面の形をそのまま受け継いで「長門かわいい」って感じになったんでしょうね。もちろん真実は一つなので、その「長門かわいい」の部分は精神を受け継ぎ、現実については科学やら、そういう調べ上げのほうに受け継いだ。一見馬鹿っぽくても現代の方が昔より進んでいるのです。
ここで先ほどの話に戻りますが宗教は僕たちが神様に見られる側で、オタクは長門さんを僕たちが見る側になっているのはなぜか。答えは簡単。現代の人たちは現実で起こってることを科学やら物理を知っているので大体のことが見当付いてます。なので単純に疲労に対する癒しが必要になった。だから、かわいいものを見たりして辛い現実から一時的に解放されたりしてるんです。
ですが昔の人たちは現実で起こってることがまだ分かってないです。現実が何がなんだか分からず、怖かったのです。人間は分からないものを怖がります。なので物事の見当をつける大きなものが必要だったのです。恐怖に対する安心感が必要だったのですよ。疲労の癒しと恐怖の判別。頭の中で考えることが多かった。だからその大きなものとして神様を作って自分たち人間を見守らせた。
日本において宗教色が無いのは実は誇れることだったのです。ちゃんと判別が付くんですね。アメリカやイギリスは結構幼稚なんですよ。
よく考えるとオタクのほうが宗教より凄かったりするんです。
まあ、宗教にもいろいろあるんでそこら辺はなんともいえないんですがね。

では。

心臓の中なのか、頭の中なのか、人間のどこにあるものなのか分からないもの

心臓の中なのか、頭の中なのか、人間のどこにあるものなのか分からないもの

なぜか、大晦日に描いた絵。

こころとは

何なのでしょうか

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