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【REVIEW】言の葉の庭「これからの期待とこれまでの過程の儚さに打ちひしがれる映像作品」 2013年06月07日 【REVIEWS】 トラックバック:0コメント:0



 言の葉の庭を見に行ってきた。新海誠の作品を映画館で見るのは初めてだ。新海作品の場合、大きなスクリーンで見るという価値は他の映画よりある。
 題名の「言の葉の庭」は、言葉が木の葉のようにいくつも連なって、そして対話になることを意味していると解釈した。万葉集ともかけているだろう。
 思ったのは映像作品だな、と。映画の価値を越しているというか、映画の真価というか。絵は何度も見れるが、まさにあの感じだ。さらに感じたのは一曲の詩を映像作品にした作品ということ。とにかく物語の進行が綺麗で、一つの曲のようだった。見終わった後には、これからの期待とこれまでの過程の儚さに打ちひしがれた。
 でも、二人とも手を取り合ってあの東屋から腰を上げ、再び歩き出したのだ。人生には進むごとに壁がいくつも重なっていて、その壁を越えるのに疲れた女性は、壁をよじ登っている最中の少年に助けられた。その少年も背中を押された。それはとても綺麗な終わり方だったと思う。終わった後もとい、本編の後の期待が大きい終わり方だからだ。そして本編の内容である、「過程」は儚いが、とても大切な時間なのだろうと思う。
 映像はさすがである。雨の雰囲気は6月、7月・・・と作品の間で表情を変えていて、二人の関係とも似せてある。舞台となった新宿御苑は僕もよく写真を撮りに出かける場所だが、現実の新宿御苑は言の葉の庭にでてくる新宿御苑には遠く及ばない。反射光と環境光をまぶしくないほどに入れた作画は、とても落ち着きのある光を見せていた。音楽も今までの作品と同じく、とてもマッチしているものになっていた。雨の音などを印象深くしているところも、雨の心地よさを際立たせている。
 「まるで世界の秘密そのものみたいに彼女は見える」と、いうセリフでユキノを想い、結果的に正面からぶつかるタカオ。彼らは不思議な関係を持つことになる。この過程を雨の中の公園で見ていくことになるのだが、社会だとかそういう「外の世界」もひっくるめて物語は進行している。これはこの物語には絶対に必要なことなのだと思う。挑戦すべきは「外の世界」、大体の人はそうだと思う。それが上記で述べた壁でもある。
 話は逸れるが、僕にとって社会とは「けむたいが、生活したいのなら避けられないもの」である。人間関係においては僕はあまりにも不器用である。なぜなら僕は自己中心的な人間だからである。しかも小心者なので相当相手を知らなければ、自分の気持ちは伝えられない。
 そんな自分は恋したことはあれど、愛などもっての他であるが、「愛より昔、孤悲のものがたり」というキャッチコピーを見て思ったことがある。恋は一人で対象となる人に思いを伝えられぬ時にするもの(ただし、好きと言う想いに限定する)で、愛は対象となる人がいて保護的に全力を尽くしたい時の感情だ、と。
 恋の意味を具体的にすれば孤独の状態で悲しんでいるだけ。孤悲。なんとも漢字の意味をそのままくっつけた、綺麗な言葉である。
 新海作品は孤悲が多い。いまさらこんなキャッチコピーはどうかと思うが、それでも「言の葉の庭」には良いキャッチコピーだと思った。孤悲は孤悲のまま終わらず、次の状況へとステップアップしたからだ。でも愛まで届かなかった。孤悲と愛の中間で終わった「言の葉の庭」。一方「秒速5センチメートル」は孤悲で終わった。
 タカオとユキノは孤悲のちょっと上までお互い登ったが、愛にはいつ登れるだろうか。


言の葉の庭 『これからの期待とこれまでの過程の儚さに打ちひしがれる映像作品』★★★★★
監督・原作・脚本・絵コンテ・演出……新海 誠
作画監督・キャラクターデザイン……土屋 堅一
美術監督……滝口 比呂志
秋月 孝雄(声優)……入野 自由
雪野 百香里(声優)……花澤 香菜
公式サイト「言の葉の庭」http://www.kotonohanoniwa.jp/

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テーマ:アニメ - ジャンル:映画

【REVIEW】ef - a tale of melodies.「まさか、僕の涙は枯れていたはずなのに」 2013年04月06日 【REVIEWS】 トラックバック:0コメント:0

  

※この記事はef - a tale of melodies.のネタバレを含みます。ef - a tale of melodies.を見終わった人向けの記事です。
 一期はいくつかの謎を残して終わった。
 なぜ広野 紘と堤 京介は面識があるのに麻生 蓮治だけ単独だったのか。あの修道女のような少女は何者なのか。火村 夕は教会で誰を待っているのか。さっき誰かを待っているといった少女がいたのだが。
 二期でこれらが解き明かされる。
 物語は一期のすぐ後。麻生 蓮治と新藤 千尋が結ばれてから、羽山 ミズキがオーストラリアに来るところか始まる。ところがオーストラリアに来た、といわれたのに風景は今までと変わらない。しかも宿が蓮治の自宅であることがますます混乱を呼ぶ。蓮治は試験で忙しく、隣の久瀬 修一にミズキを預けることにする。
 場面は変わり、夕の学生時代へ。帰りの時に、空から降ってきた紙飛行機。飛ばしたのは雨宮 優子。例の修道女のような格好をした少女だが、制服だ。夕は若返っているのに優子は若返っていない。もっとも若返ったら幼女どころの話じゃないかもしれない。自分の裸でラフデッサンする広野 凪という美術部員と買出し途中で優子につけられ、その理由を問いただしたときに優子と昔、出会っていたことを思い出す。
 二つの物語は平行して進む。一期と異なり、時系列が違う。そして優子と夕の話は一期を含め、なぜこれらの物語が平行して進んでいたかを解き明かしてくれる。いや、解き明かすというほどはっきりとはしていないが、何があったからという動機付けがなされたといって良いだろう。
 どの物語も、難題を解決して恋愛を成就させるという共通点があり、登場した人物はお互いにそれぞれ結びついていた。そして、ほぼすべて優子がかかわっている。
 もちろん夕と優子の話では、優子が張本人となっている。
 さて、恋愛をどう捉えるか人それぞれだが、僕はこのefが出した答えがとても好きだ。
 ミズキは修一と一緒にすごして行くうちに、修一に惹かれていく。しかし修一は残りわずかな自分の命を知り、自分と関係するものをすべて消して、きれいに死んでいこうとしていた。ミズキが告白にいたったとき、修一は自分の前に現れないでくれと言って振り切った。これは修一が潔癖だからではない。死んでしまうのだから成就しない恋と考えたからだ。
 それでも現れるミズキに修一は数多くの問いかけをする。なぜ目の前に現れるのか。なぜ明るいのか。何故自分なのか。これらは恋を何故するのかという問いかけによく似ているが、少し違うだろう。ほぼ彼の心情を吐露するような形で、ある意味甘えているような、きつい問いかけだ。
 後にミズキはこれらの問いにすべて答える。「あなたが好きだから」「あなたが久瀬 修一だから」すべての問いをほぼ同じ答えで返していく。「好き」という感情は好きだから好き。他に意味はない。これが答えだ。
 ここで使われた演出にも賞賛せざる得ない。ただ捨てるためにちょうどよい、感情の吐露、暴言にすべて答える。その圧倒たるミズキの答え。efは文章にして重みを増す演出をしている。ここで一番効いた気がする。文章にすることによって、より重みが増したと思う。
 時代は昔へ。優子は夕に恨みを持っていた。それを晴らすために夕に近づいた。が、その謀は彼女が考えない方向へ進んだ。いや、心の底では始めから方向は決まっていたのだろう。
 優子は雨宮 明良の妹になっていた。夕の義理の妹になろうとして、夕に突き放された結果だった。夕には実の妹がいて、それを思い出したくない理由からだった。しかし、明良にも同じ過去があった。妹にそっくりな優子は代わりだったが、次第に優子が生きていることに対する怒りを優子にぶつけ始めた。愚かだと思うが、弱い人間だと一笑するしかない。その怒りをぶつけられた優子は当然恨みをもつ。それは夕に対してだった。僕はこれに対して、すこし疑問を持つ。なぜ夕に対して恨みを持ったのかということだ。
 たしかに夕ならば優子に優しくしてくれるだろうと考えられなくも無い。しかしその逆もしかりだ。夕が優子を拒絶したのは自分が耐えられないからだろうか、それとも優子のことを思っての事だったのだろうか。両方と見てもよいだろうと思う。
 二つの物語は終わりを迎え、謎に包まれた真相もはっきりと見えてくる。これらの話はお互いに絡み合いながらできていった。だんだんと人間関係が見えてきて面白い。
 結局のところefを一口では語れない。演出のすばらしさは二期も同じだった。OPの変化が著しく、これも驚いたところの一つであることを付け加えよう。物語りの今の感情を語ってくれている。
 感情を見えるようにしたやり口は、感情移入しやすいつくりとなっている。いままで僕はさまざまなアニメを見てきたが、ここまで感情が動いたのは初めてだ。まさか、僕の涙は枯れていたはずなのに、と驚いていられたのは、まさに1秒未満の思考だった。
 僕の感情を動かしたのでef - a tale of melodies.には5点満点をつける。これは真相が分かり、二つの物語を平行して進める疑問が晴れたのでef - a tale of memoriesにも5点をつけたいところだが、もう一度見直してからにする。

ef - a tale of melodies. ★★★★★ 「まさか、僕の涙は枯れていたはずなのに」

原作 minori、鏡遊、御影
監督 大沼心
キャラクター原案 七尾奈留、2C=がろあ
アニメーション制作 シャフト

  

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック

【REVIEW】ef - a tale of memories「それは、45秒未満の感動だった」 2013年04月04日 【REVIEWS】 トラックバック:0コメント:1

  


 この記事はef - a tale of memoriesのネタバレを含みます。見終わった人向けの記事です。
 大体、恋愛ノベルゲーが原作の場合、主人公は一人で、何故かその主人公のことが好きな女の子たちの話になる。物語の後半は主人公が数多くの女の子から一人選び、カップルができて終わる。ましろ色シンフォニーというアニメは最後に選ばれなかった他の女の子たちの心情を描いたが、本人たちの気持ちはともかく、見てるほうとしては最悪だった。ましろ色シンフォニーは現実離れした状況におかれた現実を冷徹に描いたのだ。これは矛盾している。現実を描くのなら、主人公一人のことが好きな女の子がそんなに集まらない。ひどい結果になるのは当然である。これは間違っていた。現実とアニメをごっちゃにしたひどい作品だった。
 この恋愛ノベルゲーの疑問に答えたのは、そのましろ色シンフォニーよりもずっと前に作られたef - a fairy tale of the two.というエロゲだが、原作はやっていないためはっきりとは答えられない。アニメ化されたef - a tale of memoriesを見たものの、原作のエロゲはどういう風な作りになっているのか想像できなかった。
 いくつかの物語が同時進行している上に、まどかマギカのようなシャフト特有の演出が強く出ているので、始めのほうは話がつかみにくい。主人公は何人と明記できないが、物語の中で主観が多く、動きが多い人物は、広野 紘、堤 京介、麻生 蓮治の三人だ。
 広野 紘はプロの漫画家で新藤 景と幼馴染で仲がよく、義兄妹の契りかなにかで深い関係だ。堤 京介は映画研究部かなにかの部員で、芸術家気質だ。麻生 蓮治はアニメでは明らかにならなかったが、語学に長けており、小説家を目指そうとするものの、踏み出せずにいる。
 この三人のうち紘と京介は友人だが、蓮治はこの二人とは無縁である。
 紘はクリスマスの夜に運命的な出会いで宮村 みやこと出会うが、景と紘の関係を壊してしまうことになる。しかし、みやこにもある理由で紘が必要だった。そして、景の姿に芸術的な何かを見出した京介は景を撮るだけの映像作品を作ろうと、景に近づいた。
 同じころ、景の妹にあたる新藤 千尋は蓮治と出会う。千尋は事故で片目を失った上、前向性健忘症になった。短期記憶ができない体で、勉学などに大きな支障をきたし、学校へ行っていない。
 前向性健忘症とは脳の短期記憶をする部分を損傷し、長期記憶へ移せない状態。だったと思う。脳にはさまざまな役割分担がされており、一時的に記憶にとどめておく部分を損傷すると、短期記憶が少しの間しか維持できなくなる。もちろん事故以前に得た長期記憶はそのまま保ち続ける。12歳の頃に事故にあってしまった彼女が、12歳以前の記憶のみを持っているのは、そのためだ。逆に12歳からは短期記憶→長期記憶の作業をするまえに短期記憶が消滅するため、記憶が無い状態になる。
 千尋は13時間しか記憶が保持できない。だから、千尋はメモ帳を常に肌身離さず持ち歩き、出来事をすべて書いている。それが、そのメモ帳が彼女の長期記憶、記憶なのだ。
 医者の話だと、重症ならその日記さえ自分のものではないと否定するケースがあると言うが、そこまでひどいことにはなっていない。だから思い返すだけでもある程度記憶が保持できるようだ。
 蓮治にはお気に入りの場所があった。廃駅だ。いつもどおり彼が廃駅に向かうと、先客がいた。それは45秒以内の邂逅だった、と千尋との出会いを表現する蓮治だが、これが堅苦しい文章のように聞こえるのは、後に彼がこの出会いを小説にしたからだった。
 13時間しか記憶が保持できない千尋の夢は、一つ物語を作ることだった。しかし、ひとりでは13時間だけの記憶とメモだけで物語を書くことになり、断念していた。蓮治はこれに協力して、千尋の記憶の齟齬を直しつつ、見守ることにした。物語を書き始める千尋。しかしその小説は自分自身を描いたものだった。この小説を書くという部分で僕は、自分自身をはっきり見つめてみたいという意思があったのだろうと考える。12歳から千尋は記憶が無く、メモに書かれていることが自分の記憶だと言われ続ける。それが自分自身だと。そんな曖昧な自分を第三者の視点で見てみれば、解決がつくのではないかと、思ったのだろう。
 12歳から飛んで13時間のみの千尋と蓮治の関係はやはりそう長く続かなかった。中盤、蓮治の記憶を保持しようとした千尋は過労で倒れ、13時間ほど寝てしまい、12歳の千尋になった。蓮治との記憶はまさにメモ帳のみになり、蓮治は関係を保とうと苦悩する。
 千尋と蓮治の関係が回復し、物語を完成させた。客観的だったからなのか、物語の完結が意味する状況の解決法は残酷な決断だった。僕はこの決断を蓮治に知らせた直後のシーンでひどくやられてしまった。メモ帳のうち、蓮治との出会いだけを破り捨てるシーンは、記憶のはかなさを改めて知らされる。人間の脳がメモ帳になっている。なら逆も同様だと感じた。人が死んでしまえば、記憶はどこへ行くのだろう。物語はどこへ。
 いや、こんな感想は僕の曲解に過ぎないかもしれない。でも感じたことではある。結局のところ、彼らの関係を続けるのは不可能に近い。毎日千尋は蓮治と初対面の状態で接している。こんな関係で恋人にまで上るのは、それこそ奇跡が起こらなければ不可能だ。
 奇跡に関して、火村という千尋の保護者が蓮治に話したことがある。「この世に奇跡なんて無い。あるのは偶然と必然、そして誰が何をするかだけ」
 まさに、このセリフの通りの結末になった。
 ここまで読んでわかったと思うが、僕はこのefの蓮治と千尋のストーリーにあまりにも夢中になりすぎて、他二人についてはあまり見ていなかった。彼らについては大体上の三行で書けていると思う。それは物語のおおまかな動きだ。
 彼らは人間関係のピースをうまいこと収めることができた。必要な部分をそれぞれ補った。感心したが、感動とまではいかなかった。しかし千尋と蓮治のように火村が話した奇跡の話通りの結末になったことは面白い。もっとも、世の中を見通しているセリフであり、どの結末でも成り立つのかもしれない。偶然と必然、そして誰が何をするか。efはこれがテーマなのだろう。
 では、efの演出について。
 画面が印象的になる効果をefは取り入れ見事成功した。場面がモノクロになったり、記号のようになる演出で、僕らはまるで崖から落ちたような感覚や、冷や水を浴びたような感覚に陥る。それらはすべて登場人物たちの視点で描かれたものだ。感情が入った視界をそれらの演出で表現した。これはef独特の演出であり、efが人々から賞賛されたことの理由だと僕は思う。ただストーリーを単純に見せるだけでなく、感情に訴える作り方をしたefという作品に5点満点を与えたい。でもひとつ気になる点がある。
 efは2つほどのストーリ推し進めるが、一貫しているものは確かにあると言える。主人公たちが進路希望調査を受けているのはそれの暗示だ。だが、同時に推し進めるほどのものかと少し頭を抱えてしまった。だから星はひとつ減らすことにする。P.S.見直して、少し考えたが、やはり日本サイドの話はいまいち理解できない。いや、もし今の曖昧な理解で言うならば、つまらない。という感想になる。よってef - a tale of memoriesの星はこのままにする。原作をいつか必ずやるつもりだ。そのときに星が変動するかもしれない。

ef - a tale of memories.「それは45秒以内の感動だった」
★★★★☆

原作 minori、鏡遊、御影
監督 大沼心
アニメーション制作 シャフト
キャラクター原案 七尾奈留、2C=がろあ

  

テーマ:アニメ・感想 - ジャンル:アニメ・コミック

【REVIEW】フリーサウンドノベルゲーム 「終末によせて」 2012年12月24日 【REVIEWS】 トラックバック:0コメント:0

shuga.jpg

 夜中の1時半を過ぎたところで、なにか時間を埋めるものが欲しかった。ということでこのゲームをクリアしてしまいました。
 とにかく感じたのがプレイの姿勢が大事なゲームだなあと。全体的にゆったりとしたゲームで、ゆるやかな日常が描かれている感じです。しかし、一週間後には世界の終末が訪れるという状況で。
 二ヶ月前、世界の終末が訪れるという発表がされました。暴動が各地で起こりましたが、終末が迫ると人々はそれぞれ終末の過ごし方を考えるようになり、ゆったりとした時間の流れる世界になっています。という世界観。
 主人公は5人。それぞれ交わりつつ終末を迎えます。そして終末については何も記述が無いです。このゲームは人々に視点をあてているんですね。終末をどう過ごすか、終末をどう受け止めるか。良いテーマだと思います。
 結局、終末は訪れる。自らを無力だと悟った人々はさじを投げ出して、自分がしたいこと始めるのでした、と。
 災害みたいな感じなので、性差を感じるシーンが地味に多くて、そういうのが苦手な自分はきつかったですね。ただ、その汚さの反動か、より一層物語が清潔に見えてしまうのも一理ありまして、まあありかなと。
 そしてこのゲームの目玉でもあるのは、音楽。だいたいピアノ曲ですね。そして、無音になる部分が多いのも良いと思います。ICOにも使われている手法ですが、重要なシーンに音楽をかけることで、よりそのシーンを印象深くしています。やさしいピアノ曲です。オリジナルだと思います。
 特に無音でよいと思えるのは、世界の終末が迫り、静かになった世界を表しているからですね。
(P.S. 驚きました、この製作者はあの車輪の国というゲームのBGM提供をしていたみたいです。有名なゲームですよね)
 写真もおそらく自身のものでしょう。少し退廃としていて、どこか暖かい風景でとても良いと思います。
 しかし、始めにプレイの姿勢が大事なゲームであると書きましたが、僕は少し気になる点が・・・・。
 ものすごくゆっくり読むと味わいがあってよいのですが、読むのが速い人は気をつけてください。あっというまに終末です。
 一行読んではその文章を嘗め回すように味わってください。そうしないと、雰囲気がしっかり味わえません。結局、文章量が少ないので、ゲームの流れにゆったりと身を任せる感じでプレイしましょう。間違えても忙しいときに読んでしまうと台無しになってしまいます。僕は一時半に読み始めて三時に読み終わりましたが、一時間半は短すぎると思います。最低二時間以上取りましょう。三、四時間取るくらいが丁度良いかと思います。三時間くらい読んで、一時間は思考をめぐらせて雰囲気を掴みましょう。本当にそうしたほうが良いと思います。
 文章自体の質が良い分、短くなってしまったのは仕方の無いことだと思いますが、文章量が少ないことで、儚さが増すので、これもまた良いのかなと。

「終末によせて」
フリーゲーム サウンドノベル
製作者 とおくできこえる デンシオン  
製作者HP とおくできこえる デンシオン http://toden.web.fc2.com/
動作OS Windows Vista/XP/2000/98(Windows7での動作は大丈夫でした)
総評「切ないです」★★★★☆

テーマ:レビュー・感想 - ジャンル:ゲーム

【REVIEW】 小林賢太郎演劇作品「ロールシャッハ」K.K.P.#7 2012年12月12日 【REVIEWS】 トラックバック:0コメント:0

※から微妙なネタバレです。※が出たら適当に対処してください。横に避けてもぶつかっても構いません。

 良い出来だったんでもう一度やります、なんて小林賢太郎さんにしては珍しい事をした「ロールシャッハ」という演劇作品。見てきました。
 始めは笑いをメインに出している印象だったので軽い気持ちで見てましたが、良い意味で裏切られました。考えてみればKKPといえ、小林賢太郎さんなのだから内容がしっかりしているなんて事は初めから知っていたはずなのですが。なんでか、軽い気持ちになってました。
                   
 壁。人間誰しも、能力の至らない部分だったりとか壁にぶつかりますよね。そこをどう乗り越えるか。パンフレットに書かれている通りの内容だったと思います。※
 自分が駄目な部分に登場人物は気が付きますが、どう乗り越えればいいかわからない。じゃあ逆のことをしてみようとか考えます。今までの自分じゃダメだから、逆で行こう。でも結局うまくいかないんですよね。
 それでどうしたかっていうと、劇中でははっきりと語られてません。明確な答えは出ていても、それは成功してはいないからですね。しかし、徐々に彼らは自分の壁を壊さずとも自分のやりたいことをして、割と成功します。
 反対にしても登場人物の名前が変わらなかったというのは、暗に結果と模範解答を見せているんですよね。反対のことをしても変わらない。自分の好きなように物事を進めていけ、と。
 それで成功する彼らの姿を見ることが出来ます。

 劇中に見られる純粋な「面白さ」を求めたギャグは、初めて見る人でも楽しめるものだと思います。ロールシャッハは特に、本当に何が面白いのかと考え、面白さに磨きがかかっていました。そういう意味でもこの作品はとても優れているといえます。

 ロールシャッハ。ストーリもシンプルに抑え、伝えたい、見せたいことを純粋に出されていました。とても綺麗にまとまった劇だったと思います。びっくりするくらいすっと入って来ました。

テーマ:演劇・劇団 - ジャンル:学問・文化・芸術

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