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【REVIEW】メルルのアトリエ~アーランドの錬金術士3~ 「磨きこまれた、気品のある革靴」 2012年07月29日 【REVIEWS】 トラックバック:0コメント:0




 シリーズ物とは面白いもので、物語が繋がっているというだけで買う人間が多い。シリーズの始まりの作品がヒットすれば、その後のシリーズ物もそこそこ買われるだろう。
 このシリーズは、その法則を無視しているように感じる。ロロナのアトリエがそこそこの人気を誇っていたとしても、メルルのアトリエがそれらを引っ張り上げたように見えて仕方が無い。トトリのアトリエもかなり評価されたが、結局は僕はメルルのアトリエを買うために、ロロナ、トトリを買ったのだ。
 友人や、ネットの噂が僕の財布を開けさせた。メルルのアトリエが、他の二作を抱え込んで、僕の元へやってきたのだ。
 ロロナのアトリエは雰囲気ゲーを期待した僕に、まさかの変化球を投げかけてきた。それは異端的でとても良く出来たRPGだった。しかし、シナリオは発生しにくかった。CGは糞だった。よくフリーズして、セーブデーターを飛ばされた。
 トトリのアトリエはRPGだけを期待した僕に、とても美しいケーキ投げてきた。顔に当たった。つまり、本来僕が期待していたものが来たのだ。CGは相当、美しくなった。そして奇妙なことに、フリーズが無かった。セーブデーターは飛ばなかった。シナリオも割と増えた。(その他は別の機会に書くとする)トトリはロロナの悪い部分を全て改善したようだ。それは完璧なゲームだった。
 メルルのアトリエは、さらにトッピングを載せてきた。トトリが旅人で、ロロナが営業だったから、国の発展をテーマに掲げたのだ。国の発展は今までのとは、かなりボリュームが違う。CGはさらに美しく。シナリオだらけだった。僕の求めていたものをかなり、解消してくれたのだ。
 結局はこれこそが、ゲームの作り方のあり方であると確信する。悪い部分を改善し、良い部分にはトッピングをする。シリーズ戦略なぞ、ビジネスマンの作り方でしかない。クリエイターとはそうあるべきなのだ。
 だからアーランドシリーズはより知名度を上げた。理由はなによりも、改善に改善を加えて、磨ききった革靴のような気品さも感じる。そんな完璧さがあるからだ。しかし、磨ききれていない部分もある。本当に気にならないレベルだ。
 例えば採集システムはいまいちと言ったところ。あまりにも時間を消費しすぎているため、ホム任せになりやすい。
 シナリオについては、ものすごく多いのは良いのだが、もうすこし散らせなかっただろうか。シナリオが多い時間と、少ない時間とで、プレイ中に分かれてしまう。
 そして何を考えたのか、オープニングがCGになっていた。チープさが目立ってしまう。クリエイターはCGの美しさを見せ付けたかったのだろうか?残念だが、そこまで起用できるほどCGは美しくない。
 しかしながら、これらの磨きのこしは肉眼で見ることができない。磨かれた部分が素晴らしいからである。
 メルルのアトリエが載せたトッピング、国の発展は、絵が完成していくような楽しさがあった。つぼみだった小さな芽が開花していくようだった。
 国の発展というハードな目標のために、依頼のシステムは期限を無くすという、大きな変更をした。これによって、ハードだった納品がのびのびと出来るようになった。
 戦闘はFF10のような時間管理がされており、相手のターンを遅らせる攻撃や、防御による時間調整で、より戦略性が出た。
 そして、ゲームの雰囲気に大きく左右する音楽。今までの音楽もとても良かっただったのだが、メルルのアトリエは個人的に、飛躍的にすばらしかったと言っても良い。フィールド一番のBGMであろう「風の咲く山」などは公式サイトで聴くことが出来る。ケルト民謡っぽさがでており、勢いのある曲だ。スタート画面のオルゴールはすばらしい。スタート画面のBGMと絵の選びは車を買うときのようにするべきだ。ゲームをはじめるにあたって、プレイヤーの期待がそこに詰まる。メルルのアトリエでは、おもちゃの宝箱を開いたときに鳴るような、オルゴールを使った。これで、これから始める物語に、期待を抱かない人間はいない。




――評価作品
メルルのアトリエ~アーランドの錬金術士3~

――★★★★★
「磨きこまれた、気品のある革靴」
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テーマ:レビュー・感想 - ジャンル:ゲーム

【REVIEW】天野こずえ漫画作品 ARIA 「ネオヴェネツィア発、幸せの哲学書」 2012年07月29日 【REVIEWS】 トラックバック:0コメント:0

   

 おととしかそこらで、僕は雰囲気、内容全てにおいて優秀な作品は無いのではないかと、落胆していた。雰囲気というのは自分自身で完結させるものでもあるから仕方が無いのではないか?という風にも考えていた。どんなにひどいゲーム、例えばFF-X-2でも雰囲気が良いと絶賛する人がいても、おかしくないとさえ。
 それは逆のパターンでも同じだ。舞台が美しいヴェネツィアの作品があったとしても、主人公がマフィアだったら、それは美しいとは程遠い作品となってしまう。カフェに入ったとしても、コーヒーの味には文句を付けずに、火薬の事しか考えていない。外に出たら、敵の組織連中を銃で撃ち始める始末。美しい街、ヴェネツィアが台無しだ!主観の問題があれば、いくら良い風景だろうが、街だろうが最悪になるのである。それは作品と読み手の関係にも少なからず影響する。僕の場合、自分の求める部分が多すぎて、結局文句で終わってるのである。
 結局は自分がわがまますぎたのか。主観の問題だったのかと、自分と問いただして、道が見えなくなってきた時。偶然、とても優れた教科書を発見した。
 それはARIAだ。ARIAという作品は人物の主観が整い、環境さえ抜群。つまり、雰囲気を楽しめる人間が、雰囲気の良い街を舞台に飛び回るのだから、ワインとチーズの相性と同じくらい良いに違いない。これこそ、今、僕が読むべき教科書だ、と直感した。そして雰囲気が良い作品だ!とも。
 だが違った。場所の問題があった。ARIAの舞台はヴェネツィアではなく、ネオヴェネツィア。何故かというと、作品の時間がなぜか未来だったのだ。未来なので、ヴェネツィアは地球に存在できない。(ヴェネツィアはそろそろ海中に沈む)だから作者は火星にヴェネツィアを移して、ネオヴェネツィアと名前を変えた。それはまるで、ダークソウルに機関銃の武器を登場させるようなもの。ダークソウルを知らない人の為に例えるならば、Macのパソコンがわざわざwindowsと同じフォントを扱うようなもの。パソコンを知らない音楽業界の人間に教えるならば、つまるところ、蛇足と言いたいのだ。前のくだりがいらないと感じた人はそれが蛇足だと考えてくれ。
 とにかく、その未来という設定はあまりにも意味が無いように感じてしまうのだ。パソコンは存在するわ、飛行機はあるわ、これでは意味が無い上に、ゴンドラの存在意義さえかき消しているのでは無いか?と。
 ついでに突っ込むとヴェネツィアにはネコが多いので、作品中のネオヴェネツィアがネコだらけというのも理解はできるものの、なぜかアリア社長はヴェネツィアにいた、すらっとしたネコとはかけ離れた(たしか地球ネコという設定だったが)かつ、アニメ色がかなり強く出ているいまいちなネコだというところも、言わねばならないだろう。
 しかし、ここまでするのは何か意味がありそうだ。
 ネオヴェネツィアは人間が作り上げたアクアという星に、地球のヴェネツィアをこのままでは沈むからと、移動させたもの。そこにはヴェネツィアからの伝統文化も受け継がれている。驚いたことに気温や重力さえ人間が管理している。100%人間が作った世界だ。なぜそこまでしたのだろうか?なぜ純粋な人工物にする必要があったのだろうか?なにか意味があるはずだ。
 とても簡単な理由としては、ヴェネツィア以外の異文化に入りやすく、読者を飽きさせない意味合いを持っているのではないか、というのがなんとなくの感触。しかし、それでは100%人工物にした意味が無い。
 作者は、一巻のあとがきに「幸せに感じたことがあったら、描いていく」とARIAの方向性を明らかにした。つまり、ARIAは幸せの日記だったのだ。そして、作者は猫ではなく、人間だ――少し紛らわしいけど。
 人間が感じた幸せを表現するために、全て人工物にする必要があったのだろう。そこは人間の作った世界であり、人間が神様だ。人間の感情を、人間が表している。そういう作品の根本的な土台を作者は作ったのだ。
 すると、次に目が移るのは、その土台の上で作者が幸せを語っている所だ。
 一つ一つの内容には常に作者の哲学、そう、ただの哲学ではなく、幸せになるための哲学が存在する。人間が良く直面する問題をどう解消するか、そしていかに幸せへと持っていくか。顎が外れるほど退屈な時間を、いかに楽しく過ごすか・・・・。まさに幸せになるための教科書だ!幸せの哲学書だ!
 難易度もそこまで高くない。頭で理解するものから、感覚で理解しなくてはならないものもある。実に難解にみえるが、驚いたことに、すっと入ってくる。すばらしい教科書だ。
 教科書はたいてい退屈な進行で内容が進むのだが、ARIAはただの教科書じゃない。舞台はネオヴェネツィアで、主人公は素敵なことを見つける天才。そして水先案内人だ。手を伸ばして、僕ら読者をARIAの世界へ連れ込んでくれる。「さあ、お手をどうぞ」と。

 僕の好きなジャンルは哲学と美だが、まさに一緒になっているのがこの漫画である。僕のわがままをよくぞ聞いてくれたと言いたい。結局、僕のわがままが叶っただけどもとれるかもしれない。でも、ARIAを読んで、僕は幸せをつかむコツを覚えた。のは良いのだが、残念なことに、評論記事は批判をしないと意味が無くなる部分があるので、記事を書くときは悪魔になる必要がある。つまり、僕はあまり変わっていない。

      

――評価作品
天野こずえ漫画作品 ARIA および そのアニメ作品

――★★★★★
「ネオヴェネツィア発、幸せの哲学書」

テーマ:漫画の感想 - ジャンル:アニメ・コミック

大津中学いじめ自殺事件。 2012年07月27日 考えてみて トラックバック:0コメント:3

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大津中学でいじめによる自殺があったそうですね。今回も例によって例のごとく、いじめについて、みなさんで考えていたり、どうしたら無くせるかとか言い争っているようですが。
いじめは絶対に無くならないと思います。いじめはゴキブリのようにしぶといやつです。生き物にはいじめはつき物なんですね。
いじめには、顔が変だとか、なんらかのコンプレックスとかを持つ人がいじめられる傾向があるので、それだけの人間がいじめられていると考える人は多そうです。ですが、いじめられる人は弱いというだけでいじめられます。他の人間と違うだけではなく、弱いという理由でいじめられるんですよ。なので、集団で人間が行動した場合、一番弱い人間は必ずいるので、その人がいじめられます。集団で行動するのは前提事項なので、どうしようもありませんね。もちろん、例外として集団の全員が精神年齢が高く、善悪の判断が鋭い人間で構成されれば起こりません。が、そんな中学は多分無いです。
では、なぜ弱い人がいじめられるのか。答えは簡単。生き物の生まれつき持つ、もしくは神様が考案した、強い者のみが生き残る、弱肉強食の現実世界だからですね。

だから絶対に世界からいじめはなくなりません。いじめは不滅です。今も「どこか」で起こっているでしょう。

絶望せずに、じゃあどうすればいいのか?と考えましょう。
ここで確認しておきたいのですが、クラスの質は教師の質が80~90%を占めると僕は考えます。
たとえば授業中にうるさいクラスは、騒ぐ生徒も悪いのですが、それ以上に、しっかりと統率がとれていない教師が悪いんです。
軍隊と統率をとる将軍を思い浮かべましょう。将軍が、的確な指示を出すことにより、軍隊は綺麗に動けます。それ以前に軍隊に訓練が必要ですが、教室で授業を受けるためには訓練はいりません。前を向いて座るだけですからね?
教師によって本当に授業のもっていき方は違います。うまい教師は教師自身の人望を集めることから始めたりするんですよね。その上で、興味を引くような授業の進行をすることで、生徒の集中を授業へうまくもっていったりします。もちろんうるさくなんてならないので、生徒を注意する手間も省けています。下手な教師は抑揚の無い授業で生徒の集中力を欠かせたり、それによって騒いだ生徒を怒鳴ったりします。悪くなる一方ですね。
そんなわけで、うるさいクラスはクラスメイトのせいではありません。90%教師のせいです。もちろん、加えて精神年齢のことも絡んできます。そこが10%強を占めていますね。

ということで、話を戻しますが、いじめを消すことはできません。なので、最悪の事態を防ぐことを考えましょう。
最悪のケース、自殺を防ぐためには、教師が生徒を見る必要があります。
しかし、教師だけに任せるのは荷が重いんですよね。そこで、学校側がどういう風に指導すれば良いかを考えます。
まず、善悪の判断の教育や、道徳の教育に力を注ぐべきですね。100か0かの人間はいません。それによって精神年齢を上げ、ある程度減少させましょう。でも初めに述べたのとおり、いじめは消えません。
教師の質を上げても良いとは思いますが、それは当たり前の話。
教室の状況を毎時間伝えてくれる生徒がいれば良いのですが、そういう生徒はあまりいません。いじめなら、なお言いにくいでしょう。
現実的ではないでしょうが、教職員のほかに、教室を監視する監視人を送り込むのが得策です。この監視人がどれだけ有能かが、問題になりそうですが、的確に監視人が生徒の状況を報告してくれれば、それで学校側が動けます。監視カメラでも構わないでしょう。なので監視人はしっかりと生徒の様子を見て、報告をすれば十分なんです。この子は一人でいるだとか、そういう事だけでも動けるでしょう。
監視などという言葉を使いましたが、結局学校は閉鎖的で、ストレスが溜まりやすい上に、いじめも容易にできてしまう、ひどい空間です。学校の設計とかも、開放的にするなどの処置をとっても良いんじゃないですかね。

最後に、まとめると、生徒の様子が見れる環境と、それに対して行動が起こせる学校が必要。早めに行動すれば、教育現場が責任や過失を認めることもなくなります。
こんな提案をするのは初めてなんですが、結局のところ僕が言いたいのは、いじめはなくならない、なので最悪のケースだけは避けるように、教師が見張りをきかせてくれ。ということです。

今回の事件は、殺人事件です。自殺という形でも、そこまで誰かが"故意"に追い込むということは、銃で殺すことと同じでしょう。

テーマ:いじめ - ジャンル:ニュース

 
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